2023/06/17
■会が始まった段階での皆さんのテーマに対しての一言で「そもそも身の丈ってよくわからない」という意見が半数以上を占めていました。
■通常「身の丈」は衣装や服装などの物理的な尺度を要する事柄について用いられますが、今回の哲学カフェで述べている身の丈の前提として「身の丈は、自我と社会とのすり合わせによって生じるもの」と定義しています。
■身の丈を獲得する方法として、一見すると自分にとって損(時間、労力がかかる割に金銭的報酬は僅か、ゼロあるいはマイナス)であることを積極的に経験していく(アクションをとる)方法がよいのではという提案もTDKRより最初にしています。VRC内であればコミュニティやイベントの運営、ワールドの製作などがこれに含まれていると会で説明しています。
1.身の丈とは何なのか
・例えば、就活中に自分は社会から必要とされていない(面接や書類選考に何度も落ちる等)経験することによって、逆説的に社会における自分の価値を見出す機会となりえるという提起がされました。
・「自分に合う服は社会から分離していても、自分に合う服として成立するか?」 という想定の例として10万円の腕時計を壊したときの気持ちが挙げられましたが、物の価値は社会的意味を含むため、分離して考えることはやはり難しいという意見が出ました。
物の価値(価格)についてもそうですが、自分に合っているかどうかが価格ではなく、サイズ感や印象に左右されると仮定しても、社会からの分離はむしろより困難であると考えています。
・実体験として、就活でエージェントを利用したが、エージェントの判断で書類を送ってもらえなかった。自分で直接応募したところ採用され、今も働いている。身の丈(身の程)はわきまえすぎないほうがいい場合もあるかもしれないという話も出ました。
2.身の丈の範囲をどのように設定するか
・自分がどの位置にいるのか? どこまでを自分が関係する範囲として扱うのか?を判定するためにも自分発信のアクションが必要であるだろう。
・自分と比較してあまりにも順位が高い人は、存在は知っていても目には入らない。
・自分が扱う範囲を自分の意志、目的に関わっているものとして設定する。それが自分の扱う範囲外と見なされるのであれば、その範囲外の領域に関してはアクションをとることは簡単かもしれないが推奨はできない。
・ランキングトップと話す機会があったとしたら、自分がそこまで努力できるか、見込みをだしてみようとする…けど敵わないと思う。
上記4点は自分自身が取り扱う身の丈の範囲をある程度は限定した方がよいであろうという前提での話でした。特に、自分の意志と目的は身の丈の範囲を設定する大きな指標になるでしょう。ただ、この時点で「見込みを出そうとしている時点で身の丈は既にあるのでは?」とも思いました。
身の丈の「獲得」という時点で社会と自分を照らし合わせるという「順位付け」の要素が発生しますが、上か下か以外の軸をもう少し考えられたらよかったと思います。
3.身の丈を測る精度はどの程度に設定するのか?
・精度が高いことに越したことはないが、あまり精度を上げすぎると、精度向上に多くのリソースを割いてしまうことになる。ひとまず最低限として、身の危険がわかるレベルは生存のために必要だと思う。ただ、この身の危険がどの程度のものなのかを体感するためにも何かしらのアクションが必要である。
最低限このくらいのレベルは必要でしょう…という「下限の身の丈」とも呼べる視点から考えたところの結果です。下限の範囲設定をする上でもやはり何かしらの積極的なアクション(少なくとも危険を省みる等)は必要となるでしょう。
4.評価と信頼関係
・むしろ自分をちゃんと批評(評価)してくれる人が身近にいるかどうかが重要なのでは?
そして、評価を受ける側の人にとっては、その評価に納得する必要がある。さらにその前提として、評価を行う・受ける間の信頼関係を築けているかも大事なことなのではという視点がでました。
身の丈の獲得の最初期段階においてこの評価と信頼関係は僕自身も相当重要だと考えています。そして、おそらく身の丈の獲得が実際問題として困難になってしまっているのは、自分を正当に評価してくれる(であろう)人が周りにいることと、その評価を自分が素直に受け入れることができるかどうかの二点が身の丈を形成するにあたって前提条件となってしまっていることが要因となっているからではないかと考えています。つまり、この二つの前提をクリアできないと身の丈の獲得は第一歩目からつまづくことになり得る…ということになるかもしれません。
他者が自分をどう評価しているか確認すると、身の丈の精度が上がると思いますが、それをどの程度取り込むかはやはり自分で取捨選択するのがよいと思います。ただしこの取捨選択自体、特に人生における初期段階は相当難しいと思います。
5.自分の「こうしたい意志」とそれに応じた「尺度」
・目標が「ライバルに勝つ」であれば、そのライバルとの差を考えるだけでよいので細かいものさしはいらない。ただ、少なくともライバル(他者)という尺度は必要となる。
・現実そのものに対して順位表示はされないが、自分が何かしらの領域、分野、ジャンルに対して積極的に関わっていきたい意志があるのであれば、それに応じた「尺度」を拾ってくる必要がある(身の丈の獲得)。
6.身の丈の獲得は「生きる範囲を確定すること」でもある
・他者から「君はここで生きるんだ」と言われた。この場合、自分がその言われた内容に納得できていて、もともとそこで生きていくつもりであったら、言われた通りでよいかもしれない。ただし、そこで納得ができていないのであれば、そこで生きていくことはおすすめできない。何かしらの負い目がある状態で不本意な道を選択すると「あそこでああすればよかった」と誰かのせいにしてしまう人生(他責の人生)を歩むことになる可能性が非常に高いから…という話をしました。
・身の丈は自分を社会的に安定させるものであり、その上に安心が成り立っていると考えることもできる。
4,5,6の話の流れで見出せた事柄として、身の丈の獲得は「生きる範囲を確定すること」と換言できるのではないかという発見がありました。生きる範囲の確定はあまり意識していなくても、行動としては誰もが行っていることであるとは思います。この話を今改めて振り返ると、自分の意志よりも尺度(社会)の方が強くなっている場合は他責の道を歩みやすくなってしまう構造があるのではないかと考えたりしています。
他責の人生は、生きる範囲を他人に操られることになると思います。
7.相手がほしいのは未来の結果(未来における見込み)
※以下はアフターで出た話です。外伝としてまとめておきます。
・他者にとっては、身の丈によって生じた実績から想定される「未来における見込み」が欲しい場面がある。実際においては面接や履歴書等がそれに該当する。
※さらに以下はTDKRが発言した主な内容です。
・未来の結果(未来における見込み)は、現在と過去の実績をベースにしている。今回のテーマに関する話はあまりにも現実に則した内容となったので、人によっては結構つらい内容になっていると思います。ですが、その上で今回このテーマを選出したのは、現在の社会をベースに生きている人のほぼ全員が「身の丈」に触れた可能性があると想定したことに加えて、自我と社会とのすり合わせで生じる結果である以上は無視することが難しいとも考えたので今回はこのテーマにしました。
・例外のようなパターンは出せませんでしたが、テーマの内容の整理とテーマの換言はできたと思っています。
・分からなかったこととして、人はほとんどの場合において無自覚の内に身の丈を獲得してしまっているのではと再確認しました。いつの間にか身の丈を獲得してしまっている状況が多発しているようです。
■さいごにあらためて…
今回の「身の丈の獲得」はまさきさんとのシュミレーションの段階で、テーマの回帰性(何度も同じような内容でテーマに立ち返っていく)の要素が強かったので、哲学カフェという場で話をしていくのは結構難しいであろうと予想していました。ただ、難しくはあるかもしれないけど無理ではないであろうということと、上記のアフターで話した通り、このテーマは少なくとも僕の中では無視することはできない内容であったので哲学カフェでやってみようという結果となりました。実際にやってみてすごく言葉には詰まりやすい内容ではあったし、「意外性」のようなものもほとんどなかったので話している側も聞いている側も結構苦しい側面があったと感じています(僕も実際結構苦しかったです)。ですが、このように会ででた話をまとめてみると「おぉ、割と筋が通っていて、それでいてここまでいけたのか」と結構感動しています。会に参加して頂いた方々に改めて感謝の意を述べたいと思っています。どうもありがとうございました~次回はもう少し話しやすい内容で…とか考えています~