面白い | 2023/07/08

2023/07/08

哲学カフェ『面白い』まとめ

文章:まさき
編集:TDKR

※この文章に関しては、まさきが執筆し、その後の編集はTDKRさんがしています。まさきの考えている、あるいは感じている箇所についてはオレンジTDKRさんの場合は青字で記入しています。

①面白いと距離
・自分の興味が近いと面白いと感じられるが、あまりにもかけ離れすぎていると面白いと感じられないのでは?
この点に関しては僕も、自分の興味とかけ離れすぎているものを面白く感じるのは難しいと考えていました。
・一方で、自分から遠く離れていること、例えば他民族の歴史を面白いと感じるが、これはどういうことなのか?
明らかに、自分と一致点の少ない事柄に対しても、自分がそこに何かしらの興味を見出している、あるいは引き込まれるような魅力を感じているのであれば、自分にとっての面白さと社会的な距離感というのはあまり関係ないのかもしれないと考えています。
一見遠くてもやってみたら面白い、を実行するにはある種の豊かさが必要かもと思いました。

②新鮮さ、意外性、斬新さ
・面白さには新鮮さが必要であるだろうと考えてみる。例えば食事の場合であれば自分にある程度の選択の自由があって様々なバリエーションで喫食できる。この場合の食事に対して、いつも同じような内容で食事をするとその食事も面白くなくなる。
・意外性と斬新さも必要ではないだろうか?映画を観る場合、一回目は面白く感じられるが二回目以降は展開も知っているので面白く感じられない。つまり、予測がついていないことも面白いことなのでは?
いつも同じこと、反復性が高すぎることに対して面白さが欠けることは上記以外の状況でも多くあると感じています。ただ、その反復の中で見えてくる気づきや発見もあってこれはこれで面白いと感じるのではないかと考えています。
映画の場合であれば、同じものを観た場合でも二回目、三回目で「製作陣はこんなに細かいところにも力を入れていたんだな」と気づくこともあると思っています。

③フォーマット、文脈の共有、予測可能なものが面白い
・上記②での問いとは逆方面での話で、人類が紡いできたフォーマット(定型)にこそ『面白い』が乗っかっている。
・人が慣れ親しんできたことを基盤として、そのベースから予測やジャンプ(飛躍)ができる。「この先にきっとなにかあるに違いない」と思えるのも、「これを乗り越えられれば面白い」という事前情報を獲得しているからできる。
②の意外性や斬新さが成り立つためには、前提において定型が必要であるだろうという話でした。これは確かにその通りで、型破りなことも型がないことにはできない…とまぁどっかで聞いたことがある話ですね。ただ、意外性にだけ捉われてしまうと割と根無し草的なムーブになることも多いなぁと感じているので気を付けたいところだとは思っています。
②と合わせ、斬新さというのはコンテンツの飽和が始まったときに求めだすものではないかと思いました。斬新なものが増えいっそジャンルになったら、今度は定番を追及するかまた別の斬新さを求めるか…になるかもしれません。

④ゲームシーン・ゲームプレイとその周囲における面白さ
※④だけでかなりのボリュームになっているのでa.b.c.とさらに細かく分類しています。

a.MTG(Magic:The Gathering)におけるプレイヤーの三分類
※この三分類は実際に哲学カフェ内ででた話をベースにしています。より詳細な情報は「ティミー ジョニー」とGoogleで検索したら一番上にM:TG WIKIがでてくるのでそこで見てもらえたらと思います。
ティミー:ゲームそのものの体験を求める。派手な演出、賭博性、親しい友人と遊びたい等、多くはプレイの瞬間に得られる体験を求める。
スパイク:ガチ勢、トーナメント志向、挑戦を求める。大会に出場して成果を残すことを目的とする傾向が高い。
ジョニー:ユニークなコンボなど、独創的な発想を起点としたプレイを見つける。ゲーム内における重箱の隅要素を見出したい欲求がある。
上記3つの要素はどれか一つだけというよりも、あくまで傾向を示すもので、当然重複や混合することもある。
b.公平性、フェアであること
・相応の見返りが保障されている。時間やお金を含めて、やりこめばやりこんだ分だけ結果が反映される。
・先ほどの映画の話も、この公平性があるのではないか? 例えば頑張った人が報われる話など。後味が悪い話は公平じゃないと思うと受け入れられない。
・スタートラインが同じであることも一つの公平性である。例)リリースされたばかりのゲームでかつ競技性の高いゲームだと、プレイを始めた時間は一応揃う。ただし、大会レベルとなると、前期タイトルや他の似たゲーム等でやり込んでいる人が上位に食い込むことが多い。
公平性を信頼しすぎると、そうじゃないときダメージが大きいのでほどほどにしたいと思っていますが、やっぱり結構信じてしまいます。
c.ラグについて
・ラグで攻撃が当たらなかったり、相手がラグを利用してズル(チートプレイ)をすると面白くない。
・ラグが許容されるパターン(基本的にラグはクソであるという前提)として、全員がラグっていると公平。結果として絵面的には面白い(お祭り状態)かもしれない。
↑は初代スプラトゥーンの最初のフェスを想定して話しました。面白かったですが別に公平ではなかったです。
いっそ全員にラグが発生していたら「じゃあそこまで織り込み済みでプレイ(攻略)していくしかない」という共通認識が発生することがあるので、共有できている面白さの一部にはなり得るかなとは思っています。あまりにもラグがひどい、そもそも同期できないレベルだとプレイヤーとしては結構苦痛ですが…
d.観戦の面白い
・プレイヤーじゃなくても面白い。詳しくなくても面白い可能性がある。
・競技試合で日本vsサウジアラビアなら日本(自分が日本人として、自分に近い方、なにかを共有している方)を応援することが多い。
ティミー的な観点だけでも十分に見ごたえがあるという可能性がある競技というのは多くの人にとって魅力的なものではないかと考えています。もちろんスパイク・ジョニー的な観点で考えても楽しめる内容であれば、それは尚更よくできたコンテンツであると考えています。
e.心構えを得る…興味のない状態から感動までの変遷
・親が子に、深呼吸は健康によいと伝えたが子は最初興味をもたなかった。その後『鬼滅の刃』が発端で血流がよくなるらしいと子自身が調べ、親にそれを報告した…という話を見かけた。興味の持ちやすさ、心構えが前提にあると面白さを感じやすいのではないか。
このあたりの話はアフターでもしていたのですが「これがいいよ!」とオススメして、全くそれを知らない人に発信する場合だと、とっかかり(フック)が無さすぎるのであまり好感触にはならないケースが多いようです。上記の例だと、鬼滅という要素をフックにしているのだろうなと考えています。ただ、実際にガチの呼吸法まで着手する子は稀だと思います。
フックの”健全さ”ってどのくらい必要なのでしょうか。
f.やらされている感
・アイテムをすべて集めると報酬(レアアイテムや称号)が得られるとわかったらそれを目指す人がいる。一方で、報酬がぶら下げられていると「やらされている感、強制感」が見えちゃってやりたくなくなる人もいる。
吊らされたニンジンに全力疾走はしたくはないよな~とか思いながら聞いていました。実際はいろいろな場面でニンジン追っかけちゃっていると思うんですけどね。このやらされている感をどうやって解消したらいいのかの模範解答が後述のゼルダシリーズのヒント設置にあると思います。
・ゼルダシリーズのやらされている感の対処方法として、特にボス戦における「攻略ヒント」を示すが、このヒントのちらつかせ方が絶妙で「あぁ!弱点見つけた!」とプレイヤー自らが見つけた感をもてるような作りになっている。そのため面白いと感じやすい(らしい)。
g.共通の話題
・ゲームならゲームの外側で、誰かと同じもので話せたり、見せたりするのが面白い。
ゲームコミュニティといえばまずはこれ…的な要素なんじゃないかなと思います。内容が限定的であればあるほど面白い傾向は高い反面、通じなかった時の地味にクソ微妙な雰囲気になるのはトレードオフなんかなって思っています。
・ソシャゲはガチャやイベントで、キャラのオタク(昨今の推し文化?)であると自慢でき、アイデンティティを保つことができる。
ここでアイデンティティって言葉がでてきたので、面白さと同時に「それがアイデンティティで大丈夫!?」と内心焦りを感じたりしていました。とかいう僕もソシャゲにつぎ込んでいた時期もあったので、自我形成の初期段階とかだとマジでつけ込まれやすいなとソシャゲに恐怖しています。
↑「推し文化」は大抵コミュニティや界隈に所属することになるので、大変だと思います。
・例えば道端でキラキラするものを見つけた、と他者に伝えるのは自慢ではない。自分の中で素晴らしいと思えるものを見つけたら共有してもしなくてもいい。
自分の中だけで完結できるタイプの面白さでありながら、これ以上の展開はしなかった話だったので、もうちょい何か話せたらなと思っていました。
h.面白いの要素
・いろんな要素が面白いにつながる。満足感、達成感、充足感、納得感、自己実現

⑤仕事における面白さ
仕事が例に挙げられ、最初に面白くないパターンを挙げました。
・強制されている感(責任、使命感)
・不公平感(理不尽な構造)
・自分の生活のためにやっている
・見合っていない報酬(もらいすぎてもしんどい)
しかし上記は、仕事は面白くないと思っているから、面白くないという結論に持っていこうとしている。面白くない要素を探すバイアスがあるのではないかという意見が出ました。
自分の中で、半自動的に面白くない結論にもっていこうする働きをしているのではという話は聞いていて素で驚きました。いや~これはやってますよ。
わたしは現在ちょっと変わった職場で働いていて、前までの仕事の経験もあり、報酬を多めにもらってしまっているなと感じています。もらいすぎてもしんどいので仕事を増やす、他の人のサポートをする方向で動いています。
これに対し、自分は仕事が面白いと思うという意見が出ました。

自分が好きなことをやっている。もともと好きな分野である。
お金自体はそんなにもらっているわけではない。
仕事なので好きではないこともあるが、好きな方へ持っていく。
前職でも面白い要素を見つけて仕事していた。
唯一人間関係は苦手だが、人間と関係する割合が非常に少ない。
純粋に内容が面白い。わからないことがわかっていく。
家ではできない仕事なので、つい遅くまで残業してしまう。
面白いに持っていくのは難しいが、見つけることはできる。
明日はどうしてやろうか家で考えるのが楽しい。

・好きなことが面白い
これだ~ってなってました。ありがとうございます。
・「自分の好き」を理解をしていることが大事である。
仕事は面白さよりも「やりがい」を求める傾向が高いと個人的には思っているのですが、その中でもここまで仕事に面白さを見出せている、追及できているのは素直にスゴいなぁと感動して聞いていました。割と個人的な内容でもあったので結構話しにくいこともあったかと思っていて、それでもこのようなエピソードを話して下さったことに感謝しています。

■さいごにあらためて…
哲学カフェは面白いです。皆さん、TDKRさん、いつもありがとうございます。

まさき
当初はもう少しテーマを絞って『面白いと安心』とかにしようかと、まさきさんとテーマ決めを考えたりしていました。ただ、色々な側面で考えたかったことと、2時間では全く時間が足りないくらいの物量、それでいて参加している人は比較的話しやすいテーマ…ってな訳で今回は『面白い』というテーマでやってみました。僕も面白かったです。
TDKR



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