継続 | 2023/07/29

2023/07/29

哲学カフェ『継続』まとめ

文章・編集:まさき・TDKR

※この文章に関しては、まさき・TDKRが共に文章・編集を担当しています。まさきの考えている、あるいは感じている箇所についてはオレンジTDKRさんの場合は青字で記入しています。

1.フィットボクシングが続けられない
・フィットボクシングが続けられない。コロナ前の時点から、家に出ることが極端に減ったので運動手段として取り入れてみた。その際、ソフトとSwitchの両方を買ったので「これだけ投資したらいける(継続できる)んじゃないか」と思ったが、実際は置物状態になっている。運動の取り組みとして、自分の中では面倒くさくならないように工夫しているが、何かハードルになっていることがあるのだろうか?

2.初期投資と継続
・フィットボクシングが継続できない理由として、初期費用に対する価値基準として「買ったからには続けるんでしょ?」という「自分の中の親」を発生させてしまっているからではないだろうか。この「親」はあくまで何かを始めるための投資への言い訳として登場する形になりがちである。そのため、初期投資をしたからといって継続できる訳ではない。むしろ実際、この理由だと継続できないことが多い可能性がある。
一定以上の高額投資をして継続にもっていこう…という背水の陣みたいなパターンは今でも結構見たり聞いたりするし、なんなら僕もやってました。僕の場合、これでいくと例外なくほぼ全滅でした。そもそもこれについては手順が逆だと思っていて「継続したことにお金をかけた」ということは実際僕も経験としてありました。おそらく、これを逆手順にすればいけるのでは…お金で継続が手に入るのでは…的な考えなのでしょう。これは「継続」そのものに価値を見出しているから生じている現象なのかもしれません。

3.代わりに整体
・フィットボクシングは結果的にやらなかったが、整体には通うようになった(週1,2回くらい)。通っている整体は予約制ではなく、自分のタイミングで行って、空いていれば即OKなところ。自分の中では「しょうがないし行くかぁ」くらいだがなんだかんだで継続できている。継続できている理由として、整体に行くまでに散歩ができていることと、買い物にも行けることの二点が関係しているのではないかと考えている。つまり、自分にとって都合がよいのだろう。
「得(=行くだけでよいというラクさ)を得る」と「損(=投資が無駄になる)を避ける」の違いかなと思いました。
「自分にとって都合がよい」ことは結果的に継続しやすいことなのだろうと予想しています。大きな理由として、都合がよいことは、特段やめるほどの支障はないことでもあるので(内容が何であれ)結果的には続けやすいのだということなのでしょう。

4.無理のない規模感
・先の事例(フィットボクシングと整体の話)を受けての返答。旅行体験記事の投稿をしていて、投資するものが少ない(話の素材+写真でいい)のだが、「あれ、続かないや…」となりがちになる。記事投稿のペースは3日連続が限界で、4、5日目くらいからは義務、6日目は意地みたいな感覚でやっているので「3日坊主とはよくいったものだ」と感じている。そういった感覚もあるので、記事投稿を継続するにあたっては、自分の中で3、4日程度に合わせたくらいが「無理のない規模感」なのだろうと推測している。ただしこれは無茶をしたことによって得られたことなのだろうとも思っている。
このあたりは以前のテーマ「自信」「身の丈の獲得」ともつながる話かなと思いました。自信がマイナスにならない程度の無茶は、自分の動ける範囲が明確になって、自律的に動けるようになるのかもしれません。
僕も↑のまさきさんとほぼ同じことを考えています。特に「身の丈の獲得」の方の視点をもっているなぁと感じていました。

5.「むこうからやってくる」
旅行体験記事の補足的な返答エピソード。自分は台湾の芸能人の方のファンブログの投稿と更新を7年くらいやっている。投稿して最初の1、2年は自分の中での手順が確立していなかったこともあって大変だったが、今となっては「この順路でやれば大体いける」くらいにはなった。その反面、中国語(語学学習)での日記ブログは3か月ともたなかった。前者のファンブログは「ネタがむこうからやってくる」ので、投稿のルーティンさえ組んでしまえば継続可能であったが、後者の語学学習日記に関しては常に自前でネタを仕入れる必要があったので、継続が困難になってしまっていたのではと推測している。なので、ある程度はむこうからやってくるネタがある方がブログ系は継続しやすいのではないかと考える。
この話は「実際問題このほうが続けやすい」という話だったので、かなり実践向けだなと感じました。継続に対して習慣(慣性の力)を取り入れているのが肝要だと思っています。

6.メモ、手帳
・前述の語学学習日記の話を受けてからのメモと手帳3例。

・見返すために作った日記。自分の過去の考え方や思っていたことを振り返るために作った日記で、その日あったことを書くだけでなく「その時どう思ったか」も同時に書いていく日記となっている。スマホのメモアプリに入れるだけでよくて、100文字もいらない。断続的に約2年くらい継続している。
上記はわたしが話しました。未来への投資の意図もありつつ、今という時は過去になって忘れてしまうため、振り返れるものが欲しかったので始めました。()の中が漫画の一コマに収まっている文章みたいでかっこいいと思いました。ちなみに「その時どう思ったか」までを書くことが振り返りを行う上で、かなり大事だったんじゃないでしょうかとは思っています。

・生命的に生きていける理由を書く日記(短文)。「自分はなんの価値もない」と思っていた時、当時頼っていた先生に「とりあえず手帳を買って」と催促を受けて実行した。日記よりもさらに短い文章でいい。実際、その手帳に書いていたことは「今日は冷凍うどんを解凍して食べた」「ボンカレーを食べた」「洗濯物をほったらかしてひたすら寝ていた」という内容で「その日やったことを忠実に書く」ことが重要となる。このようなことを続けていると、どういうわけか精神状態を持ち直していったという経験があった。
自分の思ったことを言葉にすることはコストが高いことだと思います。仮に書いても、上記のような精神状態であれば、自分が思ったことでさえも否定してしまうかもしれないから、この時は自分がやったことだけを書くことがよかったのではと思いました。
僕もそう思いました…以上のことをまさきさんが書いてくれているのでもはや言うことはないです。

・アナログの手帳で書く。これは他の人にも薦めている。その時の自分の精神状態が文字に入るので、後から自分で見返すと感慨深い。自分の気持ちを「書きなぐる」でもいい。
上記の日記以前はよく、アナログで書いていたことを思い出しました。実家にいた頃の人生はいろんなことが貧困だったことを、ごく最近言語化したのですが、当時もなんとかしたいと感じてはいたのでしょう。日記の他に、本やwebの記事などでいいと思った部分を書き写すものがたくさんありました。
今回のテーマ『継続』をやる以前から考えていたことで「継続しているものはその人の中で優先順位の高い傾向があるのではないか」という推測をしていたのですが、この時点で確信に変わっていきました。

7.継続したくてもできない場合
・ペットボトルを捨てられずためてしまう。部屋が汚くなるのでちゃんと片付けられるようにしたいけど、そもそも一回もできていないし、継続できていないことに対して罪悪感もない。そしてこの場合、何を基準として継続と捉えているのか?
これもテーマを考えている段階からやりたい項目でした。「どこまでを継続と判定するのか」ということです。この点に関しては次の項目で考えています。

8.継続の区切り
・ある段階までの成長はどのようなジャンルでも大体似たような形で実践することができる。ただし、継続から先の努力要素、つまり「そこから先は10年積んでやっとかな」みたいな領域が見えてくると共に、「じゃあここで一旦終わりとしよう」と自分の中で区切りをつけることが多い。一旦終わりにしても、例えば5年後に「再出発」としてリスタートしてもいい。
継続の判定の一つの解答例として、「自分で区切りをつける」ことにあると思います。やっていることによっては自分自身の時間と体力の制約上、どうしても同時並行することができないようなこともあります。そのような場合は、やはり一旦は終わり…という姿勢を自分に示す必要があると考えています。

9.どうしてもやりたいこと
筋トレを3年以上続けたけど、CG(3D)をやりたくなった時、どうしても筋トレをやめないと時間の確保ができなくなったので、当時は割と苦汁で筋トレを断っていた時があった。このことに対して、「自分の中で他のやりたいことが出てきた場合は後ろめたさを感じる必要はなく、新しいことをやってもいいと思っている。」という意見がでた。
筋トレとCGは僕からだした話でした。当時結構真面目にモヤモヤしていて「え~これやめなくちゃいけないのか~」と思って、3DCGやってる時も一か月に一回とかで筋トレ浮気してました。今はどちらもほとんどやらずに真面目に哲学カフェをやっています。

10.結果として継続しちゃっていること
・今継続していることは、振り返って考えると「それしかない」という消極的な状況≒マイナスから始まっている。今の自分にとっては他に色々な選択肢がとれるけども、当時はやはりそれしかなかった。
※ここにおける「それしかない」の具体例は、写真、映画、ゲーム、漫画などが挙げられた。

・マイナスから生まれた継続だったが、他者への伝達など別の意味を持つことに途中から気づいた。自分が継続していることに対してプラスの役割を見つけられると、より続けやすくなると考えている。この場合、他の誰かが1、2回単発でやったことより、より高い付加価値を得られることがある。
哲学カフェをやりだした理由も「それしかない」からでした。お休み期間のあとの現在は「第2シーズン」的な気持ちでやっています。
やたら長くなるので文中では思い切って割愛した「家庭料理」のエピソード(マイナスから生まれた継続の具体例)はやっぱり僕にとっては当面の宿題かなと思っています。たくさん考えてくださった、聞いて下さった方々改めてありがとうございました。

11.他者がいることによって継続できたこと
・語学学習は一人だと長続きしなかったが、インドネシア語だけは3年間続けられた。これは有料のレッスンにおいて、インドネシア語の先生との関係性があったからできたと思っている。けれどVRChatで、無料で外国の方と交流ができるようになってからは、だんだんと先生との関係もなくなっていった。
なんかビターだなぁと感じながらも、でもそういうことも結構あるんだよなぁ~っていうかむしろこういうことのほうが多いのかな~とか考えたりして聞いていました。何にしろ無理してまで継続する必要はないのではと考えています。

■さいごにあらためて…
自分が苦手とする分野がだんだん分かってきました。今も引きずっている貧困を緩和したいので、これまでの継続とは違う継続を考えたいです。ひとまずは『ジョジョの奇妙な冒険』を第5部まで揃えたので、それを読み進めようと思います。今回もありがとうございました。またよろしくお願いします。

まさき
継続に限らず、哲学カフェそのものの機能的な部分で「これはいいな」と感じることがありました。それは、個人のエピソードを出した本人が他の参加者の方々の助力によって新たな視点を獲得し得るということです。特に対多人数でやっていることも少ない時間で一気に視点を獲得できることにつながる要素なので重要なポイントだと感じています。第2シーズン是非お楽しみ下さい~!
TDKR



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